㊼最初の会社での挫折

最初の会社での挫折

新卒で最初に入社したのは某家電メーカーのメンテナンス会社です。本社は東京都神田にあります。

入社後、私は横浜市戸塚区にある寮に入寮しました。

そして、約一か月間の新人研修が終わって配属されたのは、中野に本社のある某大手企業の電話交換室でした。

そこにはO室長とM先輩がいて、私は3人目の仲間として常駐勤務をする事となりました。

仕事の内容は、今ではほとんど見られませんが、クロスバー交換機と言って膨大なリレーの集合体が内線電話の操作を行うという

レトロな物で、ガッチャガッチャと磁石素子がクローズする時に発する動作音が特徴的な機械でした。

私は寮の有る戸塚区から毎日この中野まで通勤しましたが、途中で喫茶店に立ち寄ってモーニングを食べるのが日課になっており、田舎者の私からすれば

これが都会人の一員になれたような気がして、そこだけは楽しかった記憶が有ります。

しかし、私はこの会社を半年で辞めることになってしまいました。

理由としては、まず、私がシャイで人見知りな性格で、このお二人に全く馴染めなかった事。

そして、ここは交換機のトラブルが起きないと仕事がないので、殆どの日が平和なのです。つまり暇なので、毎日がアンモニア臭い青焼きの配線図を

渡されて勝手に勉強しなさいという放任ぶりもあって、この仕事は楽しくないと強く感じていたのもあります。

その様な理由で、辞めたくて仕方のない私は悩んだ挙句、親に相談しましたが、来年度の採用に響くから辞めるなと学校に言われたという理由で強く

引き止められましたし、「帰って来るな!もっと根性を出せ」と逆に叱られる始末でした。

しかし、それでも悩んだ挙句、ついに私は勤務後六か月目に辞表を提出しました。

室長からは「本社の承認が取れるまで、とりあえずはここにいたらお前は邪魔だから」と言う理由で私は下請け業者に一時的に引き渡されました。

しかし、下請け業者にもほったらかしにされた私は毎日留守番を言い渡されましたが、暇な上にやる気のない私はいつも居眠りをしていましたし、

夕方に帰社後の社員に起こされることもありませんでした。寝かせておけと言う訳です。こうなったらもうおしまいです。

ある日、いてもたってもいられない私は、寮の同室の同僚に、荷物を後から送ってもらうようお願いしをして、その日の夕方田舎に帰ろうと寮を飛び出しました。

その勢いだけを胸に留めた私は上野駅まで走りましたが、田舎には戻って来るなと両親からは拒否されて

いたのもあって、帰りの切符は買ったもののそれを躊躇する自分も居ました。

「どうしたらいいんだ?帰るに帰れない」私は切符を握りしめたまま上野駅構内をウロウロとさまよう事に

なりました。改札に行ったり、立ち止って考えたりと、恐らく、一時間ほどはさまよったのでしょうか。

とうとう、さまよい疲れた私はベンチに座って、目の前を通り過ぎる人の流れを只々眺めることしか出来ませんでした。

「この人たちは何処に帰るのかなぁ?家族が迎えてくれるのだろうか?」「少なくとも、目的が有る人たちなのだろうな」

「だが、おれは負け犬だ」

延々と目の前を通り過ぎる人々を見ながら、その羨ましさと同時に自分がとても惨めに思えてなりませんでした。

結局私は、この日は、はっきりした結論を出すことが出来ずに、そのまま、すごすごと戸塚寮へと引き返すのでした。

あの時、夕方の上野駅で惨めにさまよった経験は今でも忘れません。

その後数日が経ち、ようやく人事から承認が降りた私は会社をやっと辞めることが出来ましたが、さあ、どうしたらいいのでしょう?

住むあてもないのですから、しかし、両親が何と言おうと、もう帰るしかありません。帰るところは田舎しかありませんでした。

翌日私は、辞めるのを強烈に反対した福島の両親の下へ不安を抱きながらも逃げ帰るのでした。

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