⑬同僚のIさん

同僚のIさん
Iさんは東北地区(北海道ですが)から選抜され同時に転勤してきた3人の仲間の一人でした。
30数年前の当時は私の二つ歳上の26歳で社宅も隣同士でした。当然システム研修も一緒で(T営事の4人組のメンバー)した。
彼は少し物事を斜め45度に観る様なところがあり、所謂クセのあるタイプで、私にとっては反りが合わない存在でした。
しかし、何というか不思議とこういう相手とフィールドでは同じチームになるんですよね。当時彼は虎ノ門チームのリーダーで私がサブリーダーでした。彼はオヤジギャグや駄洒落が好きなタイプなので、私のことを「愛の小(コ)リーダー」と勝手に命名し、私は事あるごとにこのフレーズを連発される羽目になります。だから、彼とは益々距離を置かなければと決意をするのでした。

ある日、QCサークル発表の最後の詰めで二人で残業をしていたとき、Iさんから「おい、國分飲みに行こうぜ」
と声をかけられた私は、「え、二人で?」と思いながらもそこは縦社会なのでしぶしぶと飲みに付き合う事になりました。案の定、駄洒落、自慢、説教のオンパレード状態。辟易した私は「いつお開きにしましょうか」のタイミングを図っていました。
ところが、「おい、國分 お前はいい奴だな!」という意外な台詞が突然彼から飛んできました。
嫌っていた相手から飛び出したこの台詞に私は動揺し、「ぁ、そうですか」という戸惑いの返事が精一杯でした。でも、今までのおちゃらけた表情ではなく、純粋な眼差しで、本当に相手を認めてくれているテレが混じった笑顔がそこにありました。(うまく表現できないけど)

あの発言は部屋に戻ってからもずっと気になりました。一方的に相手を嫌い、距離を置いていたけれどIさんはそんな事は分かっていて、そんなちっぽけな次元ではなく、もっと広い視野で自分に接していてくれたのではないかと反省しました。それからは、私とIさんとの距離は少しずつ縮まり二人で飲みに行くような間柄にもなりました。

そして、数年が過ぎました。ゴールデンウィーク前に連休を取得したIさんはマレーシア旅行から帰ってきて「おい、國分、S、土産があるんだ、飲みにいこうぜ」と声をかけてくれました。私たちは近くの居酒屋に行き、彼からはお土産に「タイガーバーム」を3つ頂きました。
現地のタクシーにぼったくられ、知らない場所へ連れていかれようとして運転手の首を後ろから羽交い絞めにして逃げたとか、彼の楽しい土産話を聞いて「悲惨だー」って腹を抱えて笑って。あの時は本当に笑って。楽しくて。

そして、3人は軽く飲んだ後、明日も仕事だからと早めに切り上げて、もう社宅ではなく別々に住んでいた所へ帰りました。

ところが、翌朝会社にIさんの姿がありませんでした。程なくして係長あてに病院から電話があり、Iさんが駅の立ち食いそばやで倒れて
地元の病院に入院したとの連絡を受けました。容態は外傷性のくも膜下出血で意識不明という重篤な状態との事でした。
当然、課内は騒然となりました。
信じられない気持ちと何とか意識が戻ってほしいという願いとは裏腹にその後、彼はしばらく小康状態が続きました。

数日後、連休で福島に帰省していた私に、後輩から電話がありました。
覚悟していた私は「Iさんは息を引き取りました。」と嗚咽しながらも声を必死に絞り出している後輩に
「分かった。明日戻るよ」と告げ、翌日行われる通夜に出席するために東京に戻るのでした。

享年32歳での早すぎるお別れ。私にとって同僚の死というものはもちろん初めてであり、どう受け止めてよいか
分かりませんでしたが、それでも目からじゃぶじゃぶと流れ出す涙をぬぐうのが精一杯でした。大人になっても、こんなに泣くことってあるんだね。

Iさんと2歳年下のSさんと私と3人で東北から一緒に転勤してきて、同じ社宅に入り、そして、Iさんが事故に遭われる前日も居酒屋で不思議と3人一緒でした。私たちは東北転勤組の仲間としてほかの同僚よりもお互いの思いは特別だったと思います。

Iさんとは色々議論したり、喧嘩もしたりもしましたが、自分にとっては同僚であると同時に何でも言える兄貴みたいな存在でもありました。 

Iさん。たった6年間の短いお付き合いでしたが、あの時、IさんとSさんと最後に3人で飲みに行って腹を抱えて笑ったことは楽しい思い出として今も忘れませんよ。

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