⑥東京転勤

郡山出張所に配属になって5年目。毎年の異動の時期がやってきました。
自分もそろそろかなと思っていて、やっぱり会津分室かなぁなどと思っていました。雪深いけど仕方ないかなぁとかね。

ある日の夕方、H主任から声がかかりました。話があるから近所の喫茶店まで先に行っていてくれとのこと。
やはり来たか。今回は自分がターゲットだったのだなと思いました。因みに郡山出張所では喫茶店での異動通知は恒例行事です。
あーやっぱり会津かと覚悟はしていました。因みにH主任はとても鬼厳しくて所謂堅物の人物です。

言われた通り私は先に喫茶店に行き、H主任が来るのを待っていました。すると程なくしてH主任がやってきました。
H主任は無言で席に着くなり煙草を吸い始めましたが、すぐに消して、無言。また、たばこを吸って消して無言の繰り返し。これは何分くらい続いたでしょうか。とにかくこんなに落ち着きのないH主任を見るのは初めてです。なんか、とんでもない所へ飛ばされるのかなーと思い、たまりかねた私はH主任に尋ねました。「俺、転勤ですか?」と。H主任は堰を切る様に「ごめん、お前を守り切れなかった」と頭を下げてきました。こんなH主任を見るのもまた初めてです。私は、どこですか?会津ですか?と尋ねると、H主任は「ごめん、東京だ。」更に「T営業事業部OSサービス課だ。場所は虎ノ門だ」と言われました。会津どころじゃない全く別の部門への異動に私は大変驚きました。
更に何をやるところですか?と訊くとJ-Starというワークステーションをサポートする部門だと言われました。
当時はワークステーションなんて言葉も分からない訳です。何せコピー機しか分からないのだから。異動を伝えて少し落ち着いたH主任からは私への慰めなのか、異動先のH課長がシステムをやってもらうのに東北から3人適任者を選抜したのだから名誉に思えと言われましたが、そんな事よりコピー機しかできない田舎者の私がシステムなどできるかどうか不安の方が大きかったのを覚えています。

思えば最初の会社は東京でした。こころ折れて半年で辞めて、折角地元に戻ってきたのにまた東京へ引っ張られるのかと少し残念な思いでした。一瞬地元企業への職替えもちらつきましたが、それはすぐに消えました。理由は、折角苦労してここまで続けて来たし、何よりもFXは給料や福利厚生関係がとても良かったのでそれを失うのは一番嫌だったのです。だから、ここは腹を決めるしかないとの決意でした。

そうして私は大きな不安を胸に東京へと異動の準備をするのでした。

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