「静寂の旋律」小説風
高校生の僕は、毎日のようにレコードプレーヤーの針を落とし、キャット・スティーヴンスの声に耳を傾けた。彼の歌は、風に揺れる木の葉のようで、
優しくも力強く、心の奥底に染み入るものだった。『ティー・フォー・ザ・ティラーマン』や『ティーザー・アンド・ザ・ファイアキャット』のアルバムは、僕の部屋の小さな宇宙で、何度も何度も繰り返し響いた。学校の喧騒や、将来への漠然とした不安を、彼の音楽がそっと包み込んでくれた。僕にとって、彼はただの歌手じゃなかった。魂の導き手だった。
その日も、いつものようにレコードを手に取ろうとしていた時、ラジオから流れてきたニュースが耳に飛び込んできた。「キャット・スティーヴンスがイスラム教に改宗し、音楽活動を引退する意向を表明しました」。アナウンサーの声は淡々としていたが、僕には雷鳴のように響いた。針がレコードから外れてしまったかのように、心が一瞬止まった。
「どうして? なぜだ?」
混乱した僕は、すぐに雑誌や記事をかき集めた。そこには、彼の盟友であるアラン・デイビスの名前が繰り返し出てくる。アラン・デイビス。
彼はキャットの音楽のパートナーであり、親友だったはずだ。記事によると、アランがイスラム教の教えに傾倒し、その影響をキャットにも強く及ぼしたらしい。
キャットは悩み、祈り、そして最終的に「ユスフ・イスラム」という新しい名前を選んだ。イスラム教では音楽が禁じられているわけではないが、彼は自らの信仰のためにギターを置くことを決めたのだという。
裏切りだった。アラン・デイビスへの怒りが、胸の中で渦を巻いた。キャットの音楽を愛し、彼の詩に人生の意味を見出していた僕にとって、アランは奪い去った張本人にしか見えなかった。キャットが自ら選んだ道だとしても、そのきっかけを作ったのはアランだ。僕のヒーローを、僕の救いを、静かに消し去ってしまったのだ。
部屋に積み上げられたレコードを見つめながら、涙がこぼれた。彼の声がもう新しく響くことはない。新しいアルバムを待ち焦がれる日々は終わりを迎えた。高校生の僕は、まだ世の中の複雑さを受け入れる術を知らなかった。ただ失望と喪失感だけが、キャットの最後の旋律のように、僕の心に残響していた。
それでも、時折、古いレコードに針を落とす。『モーニング・ハズ・ブロークン』の優しいメロディが流れるたび、僕は思う。キャットがどこかで幸せなら、それでいいのかもしれない、と。でも、アラン・デイビスの名前を聞くたび、心のどこかで小さな棘が刺さるのを、どうしても止められなかった。
(契約上仕方なく製作した最後のアルバム。ニューヨークという曲はアメリカをくそみそに貶した曲で当然販売禁止に。)