㊿屈辱の一日
赤っ恥 解らなかったUNIX
30年前のFX在籍時の話です。当時、私はワークステーションのカスタマーエンジニア(CE)をしていましたが、CEはハードウェア専門でソフトウェアは
SEが行う分担制でした。ところが、その後に、社の方針が変わり、ハード、ソフトとも全てをCEが行うという方針転換がなされました。
また、ハードウェア自体もブラックボックスであった専用OSから、UNIXのOSをベースにアプリケーションを搭載するというシステムに変更されました。
当時のチームは私がチームリーダーをしており、数人のメンバーが居ましたが、その中にSという後輩が居ました。
何でしょう?そりが合わない人っていますよね?別に理由は無いが、苦手意識が強い。そして、こちらにも結構ずけずけと言ってくる後輩。
リーダーとしてそこはきちっと制御しなければならないけれど何か煙たいし苦手。まさにSはそんな存在でした。
とある日、私はワークステーションの設置にあるユーザーに訪問し、作業を進めましたがあるところで行き詰ってしまいました。
エディターで編集したUNIXコマンドがどうしても反映されないのです。当時、私はチームリーダーとしてのプライドもあって、自分自身で
コンプリートさせたいという焦りが有ったのかもしれません。気が付けば、2時間以上の長時間作業になっていました。
焦った担当の営業から、大丈夫ですか?と何度も確認が入りましたが、意地を張った私は大丈夫ですと言い続けました。確信もないのに。
当然、限られた時間の設置ですから、担当営業から私の所属の課に「泣き」が入りました。
「どうにかしてくれ」と言う訳です。そして、その対応策として課が応援で派遣したのはあのSでした。
Sは「お疲れ様です」と私に声をかけた後、すぐにキーボードをたたき、私が2時間以上悩んだ難問を僅か10分で解決してしまいました。
用事が終わって、Sは帰ろうとしましたが、営業の強い要望で、残りの作業もSが行い、私はすごすごと課に戻らざるを得ませんでした。
私は大恥をかきました。こんな屈辱はありません。何て格好悪いのだろう!と。もう立ち直れないとその時は思いました。
しかし、同時に私は自分の力不足と努力不足を猛省しました。「こんなんじゃリーダーと認めてもらえない」。
「あの事件」以降、私はUNIXの学習を自分なりに見直して、努力を重ねてチームの信頼は取り戻したつもりですが、Sとの関係性は相も変わらずでした。
(Sにリーダーとして認めさせたいという一心で努力した自分ですが)
田舎に帰るために私が営業志願をして、課を去るときに、「有難うございました」と一番先に深く頭を下げてくれたのはあのSでした。
私見ですが、自分が変わらなければ相手も変わらない。ならば、自分を変えましょうよ。
Jスター(富士ゼロックス)