㊾親父の事です。
親父の事です。
5年前に父親が亡くなりました。
享年88歳の大往生です。
親父は一言で言うと謎の人です。高校を卒業するまで家族は古い戸建ての市営の3K団地に住んでいました。また、「うちは貧乏だ」というのが
母親の口癖でした。
しかし、定年後に年金を受けた親父の受給額は市では1、2位を争うくらいの高額だと言う事が判明。
確かに一か月分の受給額は一流企業の課長クラスの手取り位の金額でした。
是非とも親父に言いたいここでの疑問は「何故家を建てずに市営住宅に住んでいた?」
また、親父は自分は尋常小学校しか出ていない小卒だと自虐をしていましたが、他界後に短大卒と言う事が判明。
仕事はJA系の団体職員でしたが、「俺は一匹狼だから部下など居ない」と言っていたが、各支店の支店長を歴任していたのも判明。
この様に謎の多い親父でしたが、唯一酒癖が悪いのは至極リアルでした。
子供の頃、泥酔して帰ってきた親父は、「オイ!エリ(姉)!ケン!(兄)リョウ(私)!今から一人ずつぶん殴るからここに来い!!」と脅します。
これは本当に殴られると思い、恐怖に怯えた私たち兄弟は押し入れに隠れて息をひそめていました。
それでも「オイ!早く出てこい!!」と叫ぶ親父。
その時、機転を利かせた母が、「何言ってんだ!これでも殴りな!」と親父に枕を差し出しました。
親父は「フッ」とにやけながら枕を3発殴りましたが、泥酔いも手伝いその場でバタンキュー。
こうなると、これは本気だったのか親父の悪いジョークだったのか今でも不明です。
ですが、この光景は今でもトラウマになっており、私の心に深く刻み込まれています。
この様に、普段は全くと言っていいほどしゃべらないのに酒が入ると豹変する親父なのです。
私は親父には申し訳ないが、こんな父親にはなりたくないとその時心に誓いましたし、反面教師と言う言葉をこの時に学びました。
私は、親父の通夜の時も告別式の時も何故か涙は一滴も出ませんでした。
泣こうとして、何か親父との泣けるエピソードを心の中で探しましたが、一つも出てきませんでした。
私が就職が決まり東京に出発する日、親父は珍しく電車迄乗り込んでくれました。
そして、これからの事を一生懸命に激励してくれました。
「ジリー」と発車のベルが鳴ると親父は最後の激励をして見送ってくれました。見えなくなるまでずっと手を振ってくれました。
電車が発車して数分後、私は悲しくなり目から涙が溢れだしました。ハンカチで涙を拭うことなど今までは一度もなかったのに。
それは、予想外だった親父の優しさと家族と別れて暮らすことへの不安が有ったからでしょう。拭っても拭っても涙は止まりませんでした。
泣きながらも気づいたのは、通路を挟んで座っているどこかのおばさんがこの光景を見て私に微笑んでくれたこと。
親父の激励からずっと見ていたのでしょうね。きっと、おばさんは、親父と同じく心の中で激励してくれたのだと思います。
今思えば、この時が、きっと、親離れと子離れの瞬間だったと思います。
でも、これを思い出しても葬儀では泣けませんでした。