㉙「俺もしかしたら死ぬかもしれない」
「俺もしかしたら死ぬかもしれない」
それは40年も前の3月ごろ。コピー機のカスタマーエンジニアをしていた時の話です。
「お前行ってきてくれよ」とチームリーダーに振られたのは羽鳥湖の奥にある天栄村湯本の某ユーザーさん。もうね、当時は便利屋と化していた私は遠距離ユーザーは東西南北どこであれ訪問を振られていました。当時、私は修理後に再び呼ばれるリピートコール率の低い成績でしたので仕方が有りません。(遠距離でのリピートコールは再訪問になるので時間とコストが倍になる為)まあ名誉だと思ってその時は訪問したのでしょうね。当時は今と違って羽鳥湖の先は上り下りの急激な坂が有ったり、コースアウトなら崖から転落したりと結構大変な道路事情でした。それでも何とかユーザーに辿り着き私は作業を進めました。故障の原因は駆動系と電気系の両方の不具合だったため、修理が終わるまで気づいてみれば2時間の長時間作業になっていました。
そして、ようやく作業も終わり、挨拶を終えて外に出てみれば「ガーン!」なんと、あたり一面雪景色ではありませんか!しかもガンガン降り続いているドカ雪状態。
当時は今と違ってスパイクタイヤが主流でした。我々は4月までは万が一のことを考えてノーマルタイヤには履き替えないというルールが有ったので、まあ、何とかなるさと楽観し、私は帰路につきました。
ところがです。例の羽鳥湖の急激な坂で車はスリップしてしまいました。坂を乗り越えようと何度繰り返しチャレンジしたことか。無情にもズリズリズリとタイヤは悲鳴を上げるばかり。そして、追い打ちをかける様に雪はどんどん覆いかぶさり私はついに立ち往生してしまいました。もう夕方で辺りは暗くなってきているし、当時は携帯電話など有りません。助けを呼ぶには公衆電話まで行かなければなりません。公衆電話は10km程戻らなければなりませんが、前進もバックも出来ない状態だから歩かなければなりませんが、防寒具も無いから途中で野垂れ死にするかもしれない。「どうしたらいい?凍死は最も楽な死に方だったっけ?」この様なことを考えながら私はマジで死をも覚悟しました。
その時です!「どうした?上れないのか?」と声をかけてくれたのは、たまたま後方から来た荒くれ風の土建屋の四駆のワンボックス車でした。そうだ、生きる為にはこの人にすがるしかないと瞬時に悟った私は「はい、スリップしてしまって上れないんです」とあたかもご主人様にしっぽを振る忠実なワン公の様な精一杯の媚顔で懇願です。よし分かったと、彼は同乗していた若い衆に牽引の指示をしてロープで私の車を繋いでくれました。「ガリガリガリ」と頼もしい音とともにチェーン装備の四駆車は期待通りの実力を見せてくれて無事に私は峠を乗り切ることが出来ました。土建屋さんには何とお礼をしていいかと思い、連絡先を訊いたのですが、「いいから暗くなっているから早く行きな」と映画の小林旭のごとく粋な言葉を返された私は、せめてもとの思いで何度も何度も頭を下げ、感謝の気持ちを表すしかできませんでした。
この様に人の善意によって命を助けられた私でした。
人を助ける事は大事な事だと理屈では分かっていましたが、実際に助けられる身になって初めて自分の考えが緩く甘いものだったと痛感させられました。
因みに、金持ちはお金で社会貢献をするべきだというのは私の持論ですが、お金が無くても社会貢献は出来ます。でも、いつかは、私はお金で社会貢献をしたいと思っています。