一流とは?

元来、関心事には強烈にのめりこむ性格
今まで、関心を持った物はざっくり時代順で言うと洋楽、ギター、オーディオ、将棋、自転車
シンセサイザー、ボールペン、そして、今は時計だ。

反省点は周りを顧みずに散財をした自己中バカ人間、しかし、その反面飽くなき追及によって
一流に触れる事が出来だのは大きな収穫だった。一流って素晴らしい、一流って輝いている、一流って何も語らないし、
語る必要なんてない。その空間を黙って支配してしまうのが一流。

大抵はそこで二流品との比較において差別や、蔑みで終わってしまうのは有りがちで、自分もその中の一人だった。
だが、それは人として三流であることに気付かなければならない。

唯一の収穫は、その先には差別による自己満足ではなく、慈悲や激励が大事だと言う事に幸い気付かせてもらった事。
それは、54歳の時、家族と幸楽苑で食事に行って生ビールを注文した時であった。まあ、どうでもいいけど。

人として一流になるのは並大抵のことではないし、成れるなんて思う事がそもそも三流だろう。
まして、それは周りが評価することだ。

今までの人生において、断片的に一流の人物には出会ったことは有るが、全てが一流という人物はそうは居なかろう。

しかし、三流人間でもそれの憧れと、人に対する優しさは保ちたいものだ。

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